公と私 小原晩

ばんぶんぼん!は作家の小原晩、星野文月とBREWBOOKS尾崎大輔の3人によるリレー連載です。3人で話してみたいテーマを持ち寄って、自分の思うこと、ふたりに聞いてみたいことなどを書いていきます。連載のタイトルは3人の名前や愛称をくっつけました。


文・写真・題字:小原晩/星野文月/尾崎大輔
キービジュアル:モノ・ホーミー

「メジャーデビューしたいです」と言ったときのこと、覚えてます。
それってつまり「公」になりたいということに近い(?)と思うのですが、一応理由があるんです。 
わたしはいつも「あの頃の自分」に届け!と思って、ものを書いているふしがあります。それはたぶん「私」的な思いですよね。
ちなみに「あの頃の自分」というのはいったいどんなものかというと、リトルプレスやZINEのことはよくわからない。独立系書店とよばれる本屋さんがあることも、文学フリマの存在もしらない。けれど、本を読むのは好きで、いく街に本屋があったら本屋に入るし、気になった本は迷わず買うし、気が向いたら一日中読みふける、というような感じ。だから「あの頃の自分」に自分の本を読んでもらうためには、いつか全国の本屋さんに置いてもらいたかった。それってつまり、メジャーデビュー。つまりは商業出版で。(商業出版したところで「あの頃の自分」に届けるためには、ある程度人びとに知ってもらわなければならないし、継続しなければならないし、必要とされなければ依頼も来ないし、という無理難題がいくつもあるのですが、その難しさは一旦置いておきます)
つまり「私」のための「公」です。たぶん。

作家としての「公」と「私」に関しては、たとえばエッセーは「私」的なことを書くからこそ「公」がどういうふうに読むのかということをよく意識します。だから、読んでいてウッとなるところや、しつこいところ、はじめに言いたいと思っていたことですら、そのエッセーが必要としないなら削ります。はじめに言いたい思っていたことを削るのは、別に言わなくてもよくなったから削るわけではなく、他にもっと自分のこころや体験に近い言葉を、そのエッセーが連れてくるから、そっちを書くという意味です……えらそうにすみません。堪忍ね。
反対に、小説や詩歌は、創作という「たてまえ」があるからこそ、よりウッと、よりしつこく、より「私」的に書けるような気がしています。
今のところはそういう感じです。


小原晩 / Ban Obara

2022年初のエッセイ集となる『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版。2023年「小説すばる」に読切小説「発光しましょう」を発表し、話題になる。 9月に初の商業出版作品として『これが生活なのかしらん』を大和書房から刊行。