短歌 星野文月

ばんぶんぼん!は作家の小原晩、星野文月とBREWBOOKS尾崎大輔の3人によるリレー連載です。3人で話してみたいテーマを持ち寄って、自分の思うこと、ふたりに聞いてみたいことなどを書いていきます。連載のタイトルは3人の名前や愛称をくっつけました。


文・写真・題字:小原晩/星野文月/尾崎大輔
キービジュアル:モノ・ホーミー

やっほー、ふたりとも元気にしていますか?こちらは寒くてもうほとんど冬、という感じです。私は寒いのが苦手なので、冬のいいところを必死に考えて来たるべき冬を心穏やかに迎えようとしていますが、冬のいいところが2個くらいしか思い浮かびません……。ふたりも思いついたら何でもいいから教えてください。

さて、今回のテーマは「短歌」です。ふたりとも短歌をつくっていますよね、私はつくっていません。たぶん、できないだろうなあと思っています。

前に話したことがあったかどうか忘れてしまったけれど、私は東京にいた頃に短歌を専門に扱う文芸誌の編集部ではたらいていました。編集の仕事とはいっても、そこの編集部の人たちは、私以外その道何十年みたいなベテランの人が多かったので、私はほんとうの下っ端で雑用ばかりしていました。
月刊誌に送られてくる葉書を郵便番号順に並び変えたり、新人賞という、毎年かなりの応募数がある賞に届いた原稿をあつめて、あいうえお順に並び変えたり(並び変えてばかりいますね)、注文があった書籍を取次へ卸したり、そんなことをやっていました。
 

職場にはたくさんの歌集があったので、仕事をしているふりをして、いろいろな歌を拾っては読みました。万葉集の頃のものから、戦前の歌、昭和、それから今の同じ時代を生きている人たちの歌まで、ばらばらに読みました。
誰もがその時々を生きていて、そこで何かを思って、歌を詠うという行為をしてきたこと。
それから、信じられないくらい長い時間を「短歌」という定型が詠われて、ここまで続いてきたことを思うと、あたまが追い付かなくなってしまって、いつも途方もない気持ちになりました。
目の前に乱雑に積まれた歌集の山は、時間そのものが束ねられていて、ずっしりと重く、選んで一冊を取るときは、その山を崩さないように、いつも息を止めながらそっと手を差し込んでいました。

短歌を自分もやってみよう、と思って作ろうとしてみたこともあります。だけど、そこに込めたい感情や情景を三十一字の中で見せようと手を加えているうちに、私が書きたかったことは、気付けばもうそこにはなくて、文字の外にすっかり零れて消えてしまっているのです。
ここにあったのに、もうなくて、私の目の前にあるのは、何かがあった跡だけでした。

そもそもこうやって文章をつらつらと書いているだけでも、「書かれなかったこと」がたくさんあるのに、歌人の皆さんは、何を、一体どのようにして歌をつくっているのだろう(俳句はスナップショットを見ているような感じがするので、まだどのように作っているのかわかる気がします)。

そういう訳で、私は短歌を読むことは好きなのですが、自分にはつくれないなあと感じます。だけど、自分が圧倒的に観客である場所があるということは気が楽で、たのしいです。

星野文月 / Fuzuki Hoshino

作家。著書に『私の証明』『プールの底から月を見る』など。me and you little magazine & clubにて「呼びようのない暮らし」を連載中。