家族 尾崎大輔

ばんぶんぼん!は作家の小原晩、星野文月とBREWBOOKS尾崎大輔の3人によるリレー連載です。3人で話してみたいテーマを持ち寄って、自分の思うこと、ふたりに聞いてみたいことなどを書いていきます。連載のタイトルは3人の名前や愛称をくっつけました。


文・写真・題字:小原晩/星野文月/尾崎大輔
キービジュアル:モノ・ホーミー

僕には家族がいません。もう随分前のことになりますが、明確な意志をもって関係を断ちました。家族、あるいは家というものは僕にとって安心できる場所ではありませんでした。帰属意識(という言い方が適切か分かりませんが)を感じることもありませんでした。それよりは「自分は独りなんだ」と思い知らされることのほうがずっと多かったのです。

家族の存在が前提となっている生き方よりは、そうではない生き方に興味をひかれます。

ある作家について話してみます。
彼の作品を初めて読んだのは大学一年の頃です。初期三部作を扱う講義に出席したのがきっかけでした。その講義自体はまったくもって耐えがたい退屈さで、すぐに行かなくなりました。でも作品には興味を持ちました。お金のなかった僕はまずブックオフへ行き、新潮文庫や講談社文庫の既刊を買って読みました。小説もエッセイも対談も片っ端から読みました。新作が発売されるとすぐに新刊書店で購入して読みました。当時『海辺のカフカ』が刊行されて話題になったことを覚えています。気がつくとデビュー作から最新作までの全てを読み尽くしていました。でもそれだけでは飽き足らず、講義そっちのけで大学の図書館に籠もって『村上春樹全作品』を開き、収録の際に改稿された作品を確認したり、文芸誌のバックナンバーを漁ってインタビュー記事や対談記事(村上龍や中上健次が相手だった)をせっせとプリントアウトするなどしていました。
「いったい何をそこまで」という感じですよね。自分でもよく分かりません。おそらくいくつかの要因が重なったのでしょう。ひとつ心当たりがあるとすれば、彼の作品には素朴な血縁関係のようなものが出てきませんでした。それが当たり前に重要視される世界ではなく、そういったものに依拠しない世界が記述されていました。

十代の頃は「普通になりたい」とずっと思っていました。それもかなり強く、思っていました。当時は身体的なコンプレックスのことだったり、病気のことだったり、家庭のことだったり、学校のことだったり、たくさんの問題がありました。僕が被っていた問題があり、僕が起こしていた問題がありました(あったはずです)。なんとしても無くしたかった。でもそれらがややこしく絡まりあった混沌を前に何をしたところで、状況は悪くなっていくだけでした。

今となっては「普通」の人なんていないと分かりますが、当時はとにかく周囲の人たちが羨ましくて仕方がなかった。これといった問題を抱えずに毎日楽しく遊んでいる(ように見える)同級生や、自分より健康な人たちのことが。自分を取り巻くこの状況を直して、治して、自分もそうなりたかった。そうすることでやっと人生を始められると思っていました。

村上春樹の作品では、何かしらの喪失や欠損を抱えている人たちが生きていました。僕が憧れ、なりたいと思った人たちとは少し違う人たちです。孤独だけど、生き方を確立しているように見えました。「普通」であることに頑なにこだわって、そうなれなくてボロボロになっていた僕にとってそれは少なからぬ意味があることでした。まあ今振り返るとそう思えるだけで、当時はただ没頭していただけですが。

それからしばらくして、地元を断ち、一人になって、とにかく働いて、東京の匿名性に埋没して、やっと息ができたような気がしました。

尾崎大輔 / Daisuke Ozaki

1982年生まれ。2018年にBREWBOOKSをオープン。

だいたい2時半くらいに寝ます。