家族 星野文月

ばんぶんぼん!は作家の小原晩、星野文月とBREWBOOKS尾崎大輔の3人によるリレー連載です。3人で話してみたいテーマを持ち寄って、自分の思うこと、ふたりに聞いてみたいことなどを書いていきます。連載のタイトルは3人の名前や愛称をくっつけました。


文・写真・題字:小原晩/星野文月/尾崎大輔
キービジュアル:モノ・ホーミー

私は、父、母、私、3つ下の妹、それから一匹の猫が家族です。
実家は標高が1000メートルに届きそうな山の中にあります。冬は雪がたくさん降って寒さがきびしい、そんなところで私は、生まれて育ちました。

小さいころから父はあまり家にはいなくて、家族よりも自分の趣味ばかりを優先する父に母はよく不満を漏らしていました。幼い私が気に入らないことをすると「父親そっくり!」と吐き捨てるように言われて、その言葉や言い方は大人になった今でも私の自尊心をじわじわと蝕みます。
思春期にもなれば「あなたが好きで選んで結婚をしたんじゃないの」くらいのことを言い返せるようになったけれど、そんな両親を見ていると、せっかく好きで一緒になったはずなのに、結局人はこんなふうになってしまうのかあ……という諦めみたいな気持ちばかりが湧いて、小さい頃から私は結婚や、家族を持つということに前向きな気持ちが持てませんでした。

私は好きになった人を好きじゃなくなってしまうことが怖くて、特に恋愛とか近しい距離感になった相手に対して、すごくそういう怖さが発動してしまう。自分が嫌われることよりも、相手のことを好きじゃなくなってしまうことが怖い。(人を好きじゃなくなることなんて、自然な感情の動きだってわかってるのに)
当時、両親の間に流れていたのは、諦めや、失望みたいな、言うなれば冷めきった感情で、私たち家族はみんなでそれを直視しないように努めていた。一度誰かがそれを認めたら、家族がばらばらに壊れてしまうってみんなどこかでわかっていたから。
幼かった私は、人の感情は変わってしまうということをうまく受け入れることができなかったし、気持ちの変化ひとつで、ずっと続くと思っていたこの家族という関係が簡単に終わってしまうかもしれない、という不安でいっぱいだった。
その時に感じた不安は、私の心の底に根を張って、今でも人の気持ちが変わっていくことや、変わってしまうことがものすごく哀しいって思ってしまう。それは本当に仕方のないことなのに、どうしたってやりきれない気持ちになって苦しい。

もう私はすっかり大人なのに、自分の中には子どもの頃の私がずっといて、自分の気持ちの変化をちゃんと受容できずにいる。幼い私をあんなに不安にさせていた感情が、当たり前みたいに自分の中にも芽生えてしまうことに戸惑いを感じるし、自分が関係性を壊してしまうことへの抵抗感がすごくある。だから人と深く関わることがいつまでも怖い。

じゃあどうすれば、それを防げるのだろうって考えたら、ほどほどの距離感で居続けることしかないんじゃないかって思いついた。人と一度近くなってしまったら、元には戻れないし、もれなく傷つけあってしまうって私は思ってる。だけど、そんなの嫌だから、どうしてもそれを防ぎたくて、今の同居人とは暮らす前から「お互いを恋愛対象としない」とか「性的に見ない」といったようなルールを設けて、それでやっと私が望んでいた、ほどほどの距離感で一緒に生活ができる関係が実現すると思っていた。
だけど、実際に暮らしてみると、恋愛だろうがそうじゃなかろうが、共に暮らすということは物理的に近くなり、相手が何を考えているのかやっぱり気になるし、言いにくいことも言わないとどうしても生活が先に進まないというようなこともあって、距離感をコントロールすることのむずかしさをびしびしと感じている。

これまで、恋愛感情っていうあまり信用できないものに振り回されて、距離感がおかしくなってしまった実感があるので、それをまるっと排除して、ルールを設けたら、すべてがうまくいくのでは……と思っていたのに、ぜんぜんそんなことはなかった。
人と人が関わっていく以上、そこにある関係性はそれぞれ特有のものになるから、それがおもしろくて、ややこしくて、奇妙で、愛おしく感じることがあるのかもしれない。

自分で選べたり、選べなかったりして出来上がった家族という集合体なんて、もう何を思えばいいのかわからないよ。

星野文月 / Fuzuki Hoshino

作家。著書に『私の証明』『プールの底から月を見る』など。me and you little magazine & clubにて「呼びようのない暮らし」を連載中。