徒手空拳 星野文月

ばんぶんぼん!は作家の小原晩、星野文月とBREWBOOKS尾崎大輔の3人によるリレー連載です。3人で話してみたいテーマを持ち寄って、自分の思うこと、ふたりに聞いてみたいことなどを書いていきます。連載のタイトルは3人の名前や愛称をくっつけました。


文・写真・題字:小原晩/星野文月/尾崎大輔
キービジュアル:モノ・ホーミー

 【徒手空拳】手に何も持っていないこと。また、何かを始めようとするときに、身一つで他に頼むものがないこと。何の後ろ楯もなく未知の世界に勇気を持ってチャレンジすること。
としゅくうけん、口に出して言ってみたくなる。 

ずっと、自分には背骨のようなものがない、と感じてきました。
数年前に商業出版をしてから、”作家”と名乗るようになり、それから細々と書くことを続けているけれど、私はもともと書くのが得意だった訳でもないし、人より本をたくさん読んできた訳でもない。素養と呼べるような積み重ねがないまま、いつも行き当たりばったりに、目の前にあらわれる越えなきゃいけない壁を、その時に持ち合わせているものを総動員して、どうにか乗り越えてきたような感じです。

最近、大きめの壁にぶつかって行き止まりました。自分がいま持ち合わせているものだけじゃ、これ以上は遠くにいけないというたしかな実感が、突然押し寄せてきました。
どうしたらいいんだろう、私はどうしていきたいんだろう。しばらく悶々と考えていたら、書くことが怖くなってきて、何も書けなくなりました。
今の自分にできることをやるしかないのに、そういうことをずっとやってきたはずなのに、急に自分が恥ずかしい。どうして私は自分のことを書いているんだろう、誰がそれを求めているんだろう、一体自分は何がしたいんだろうという終わりのない自問自答。

最初の本を出すときに、はじめてこの感覚に陥りました。すべてが揃って、あとは出すだけという段になったら、いよいよ怖くなってきて、「やらない方がいい理由」を必死に探し回って、言い訳のようなことばかり口にしていました。
「あなたは何がしたいの?」と問われたときに、心臓を掴まれたように動けなくなって、そのときはじめて、情けなくても、恥ずかしくても、それでもやりたいって思ってる自分がいることに気付きました。 

あれからしばらく経ったけど、いつだって何かを表現することは怖い。だけど、やってみたい。いつもその矛盾に挟まれて、心が縮んだり引っ張られたりしている。
なんでやってみたいって思うんだろうね。 

私には背骨のようなものがない、と書いたけど、試しに手をまわしてみたら、当たり前だけどそこにはちゃんと骨があった。
触ってみたらひとつひとつの小さな骨が積み重なって、一本の長い背骨になっていて、自分からは見えてないだけで、あったんだな、って思った。

星野文月 / Fuzuki Hoshino

作家。著書に『私の証明』『プールの底から月を見る』など。me and you little magazine & clubにて「呼びようのない暮らし」を連載中。