心が死にかけのとき 星野文月

ばんぶんぼん!は作家の小原晩、星野文月とBREWBOOKS尾崎大輔の3人によるリレー連載です。3人で話してみたいテーマを持ち寄って、自分の思うこと、ふたりに聞いてみたいことなどを書いていきます。連載のタイトルは3人の名前や愛称をくっつけました。


文・写真・題字:小原晩/星野文月/尾崎大輔
キービジュアル:モノ・ホーミー


とにかく風通しをよくすること。だめなときは、だめだから。
もう仕方がないと諦めて、散歩をしに、私は外に出かけます。

だけど、本当に”仕方がない”と、きっとどこかで思えてないから苦しい。
(本当は、もっとこうしたかった、できるはずだった、できなかったなあ。私はどうしたらよかった…?)
歩きながら、頭の中を思考がぐるぐるする。

だからひたすら歩く、歩けば景色は変わって、自分の両目に映るさまざまは、本当はこんなにも鮮やか。春に打ちのめされている場合ではなく、本当は春が来たことを心からよろこびたいし、安心して浮かれてみたい。
なのに、自分のなかにうごめく何かがいつまでもこんがらがって、気持ちをここに縛り付ける。おもたくて、苦しいなあ、なんで……?

歩いていると川に出る。透明な水がさらさらと流れて、水面がきらきら光っている。太陽の光を反射した細かい光の粒子が、踊っているみたいに一瞬だけあらわれて、消えて、それを繰り返す。私は繰り返されるその光たちをじっと見る。


先月からずっとぼんやりと心が苦しくて、だけどその「苦しい」という感情の曖昧さを人にうまく説明することもできず、苦しさには心当たりがあるような、それでいてあまりないような、掴みどころのない気持ちとずっと一緒にいました。

私は、自分の中にある感情に名前を付けようとしてみたり、原因を片っ端から探してみようと、じたばた動いてみたけれど、結局のところ時間が流れて、心が落ち着いて、それにちゃんと終わりが来るときをじっと「待つ」しかないような気がすごくしてきました。

生きていると、自分ではどうしようもないことや、考えても仕方のないことばかりと直面することになって、そのたびに恐れ慄き、これをあと何度繰り返すのだろう……と途方に暮れてしまう。
私は、早く状況をどうにかしたくて、焦って、とにかく自分が動いていたらきっと景色は変わるだろう、とばかり思って「待つ」ということをこれまでしてみたことがなかったような気がする。

最近は動く気力もないので、ただ待っている。また動きだせる日が来ることを私は知っているから、今は待つことに心を集中して、じっとしている。

川をのぼって歩いていくと、色とりどりの小さな花たちが一斉に咲いて揺れていた。
はっきりと咲く水仙の花たちがこちらを見ているようで、思わずはっとする。

すこし前まで春なんて永遠に来ないんじゃないかって本気で思ってたのに、目の前の景色はどう考えても春になっている。
「変わらないものなんてない」という真実を眼前でありありと見せつけられているみたいで、春が来るたび、私はいつも新鮮に驚いてしまう。

じっとしていたって、こんなにもすべては移り変わっていくのだから、なるべく身を委ねて、気楽に構えていたい。それが、案外とてもむずかしいのだけど。

星野文月 / Fuzuki Hoshino

作家。著書に『私の証明』『プールの底から月を見る』など。me and you little magazine & clubにて「呼びようのない暮らし」を連載中。